エーデルワイスのレッスン (命の治療と教育) の理念について



“命の治療” について、詳しく教えてください。
奇跡、夢の実現、幸福、愛情、健康、不運、不幸、病、死にいたるまで、これらはひとつづきのものです。そして、それらをうみだす “元” は、あなたの「命の根っこ」に刻み込まれています。そのため、命の根っこと向き合うこと、そこにたいして、働きかけを行っていくことが、正しく問題に対処する、ということになります。この、命の根っこに対する働きかけが、“命の治療” と呼ばれるものです。

これは精神科医の行う治療のことではありません。使うものは、知、意志、理性、そして、信念の力、それだけです。あなたがもう既にもっている、これらを活用して、自分自身の命の根っこと向き合うことで、あなたの抱えるほとんどの問題に対する本質的な解決を得ることが出来ます。


命の根っこに刻まれたものとは、なんですか?
健やかな生命の成長を妨げるような、ありとあらゆる問題は、本人が気づかないところで、その命の根っこに刻まれたものに(正しく対処する方法を知らずに)放置したために、それが表面化したものです。病気、ケガ、失敗をはじめとし、不運、不幸、さらには気分の落ち込みや、その激しい変動というような、ひとつの生命にとって好ましくない現象が多発する、という場合、その原因は、その命の根っこの部分に、深い “情念の刻印” がなされている、ということがほとんどです。


情念の刻印とは、なんですか?
“情念の刻印” とは、命のつながりの中で(本人の意図とは関わりのないところで)くりかえされた、それぞれの命の本質 (核) にたいする否定です。この否定がくりかえされれば、くりかえされるほど、命は、その本質から分離します。

そして、そこから復讐心(怒り)が芽生えます。

この怒りは、自分は、何も悪いことなどしていないのに、どうしてこのような目に遭わなければならないのだ、という、理不尽さによってかき立てられるものであり、これを正しく昇華させていく、ということが、ひとつの命が健やかに生きていく上で、とても重要です。しかし、命の本質からの分離が激しく、復讐心を大きく負った命ほど、正しい昇華の方法を選ばず(知らず)、それを、誤ったやりかたで (人や物を使って、自分は、これだけ価値のある存在なのだということを立証することで) 解決しようとしてしまいます。

というのは、その本質から離れれば離れるほど、命というものは、自己の価値を認識できなくなるからです。この、認識できない状態、というのは、お腹がぺこぺこで、飢え、今にも死んでしまいそうな状態に似ています。そのために、その価値を立証してくれるものを、一心不乱に醜くむさぼりはじめます。これが、命を不幸、病、死という方向に向かわせる “むさぼりの欲” の正体です。


“むさぼりの欲” に取り憑かれると、命はどうなるのですか?
この欲に取り憑かれた命に、他のものへの尊敬、尊重は見られません。 その命は、自分のために、他のものを吸引し、破壊することを厭いません。

復讐心から来る怒りによって、自己価値を立証しようという欲に取り憑かれ、他のものをむさぼるという、この状態にはまってしまった命は、そこから自分の力で抜け切る、ということができません。それは、その欲を原動力とする、その勢いによって、様々なものが手に入ってしまう、ということがあるからです。それは、端から見れば、成功した、夢や願いが叶った、順風満帆な状態に見えることもありますが、本質的に、命がおかれている状況は、幸福なものではありません。


それでは、どうすればいいのでしょうか?
人生におこる様々な問題は、常に、命の根っこに刻まれたほんとうの原因に向き合っていない、ということを訴えています。そうすることなく、その代わりとなるものを「むさぼる」ことによる解決を試みた、という、その対処方法への誤りを個々の命に訴えているのです。心身の病、ケガ、不幸、不運、失敗…いずれの現象においても、その命の在りかた、生きかたが、(その根に刻まれた “情念の刻印” の働きによって)生命として、この世界の中で生きるということ、すなわち、「自己の本質に立脚し、生産的であること」によりそっていないことを訴え、その部分を解決するように求めているのです。

命の根っこに、深い “情念の刻印” を負った命にとって、このことは、自然にできることではありません。情念の刻印は、ひとつの命にたいして、「自己の本質からの分離を促し、破壊的である」ことを無意識のうちに強いるように強く働きつづけるからです。ですから、“命の治療” において、わたしたちは、

自己の本質 (命の核) からの分離による復讐、破壊、吸引 【不幸、病、死の方向】
   ↓
自己の本質 (命の核) との合一による生産、尊重、愛情 【幸福、健やか、生の方向】


へと命の方向性を切り替えることを試みます。

“命の治療” を受けることによって、どのような状態にある命も、必ず、復讐心にとらわれた、むさぼりの欲に取り憑かれた状態から抜け出し、健やかさ、幸福、生きる方向へと向かいはじめます。(その方向性の切り替えのことを、特に、「信念の刻印」と呼びます。)


なぜ、“命の治療” と、“命の教育” とがあるのですか?
命の治療によって命の方向性が切り替わり、それまで抱えていた様々な問題が解決しはじめる ―― その次に必要となるのが、その切り替わった方向性を安定させ、定着させること、です。これを実現させるのが、“命の教育” です。

“命の教育” を受けることによって、わたしたちは、自らの命を「問題がない」というレベルから、さらに上のレベルへ ―― 豊かさ (幸福や愛情) がもたらされる、というレベルへと引き上げることができます。これは、問題を抱えていた命のレベルから、完全に脱するということでもあります。

この、脱する、ということがきちんとなされないと、命の治療をうけて「問題なし」になった命であろうとも、そのレベルは中途半端なところにとどまり、「問題なし」と「問題あり」の間を揺れ動きます。ですから、“命の治療” で、「問題なし」になったあとに、そこから、“命の教育” によって、問題とは、かけ離れたレベルにまで、自らの命のレベルを高めること、これが、重要なことなのです。

そのために、わたしたちは、Ecole et Clinique des Edelweiss という一つの機関の中に、

 Clinique (クリニック) ―― “命の治療” をうけもつ機関
 Ecole (学校) ―― “命の教育” をうけもつ機関


の二つを有しています。これまで述べてきたような理由から、命の治療とその教育とは切り離すことが出来ません。これら二つの機関が一体となって機能することにより、あなたの命は、健やかで幸福な状態に導かれます。


“命の教育” では、具体的に、どんなことをするのですか?
命の教育の柱は、下記のとおり(1~3)です。
1.自らを知り
2.自らを立て
3.自らを律す